「平等」はただの絵空事
「人間は生まれまれながらにして平等」
とか言われたのは数百年前で、時代の移り変わりのせいなのかいま現在では逆にそうではなかったことが浮き彫りになっている
なんて本で読んだことがあります
便利になった世の中のシステムやルールは多数派に向けて作られたものなのでルールが増えれば増えるほど少数派は首を絞められていきます
まだ他にも別の可能性があるのかは分かりませんが私は現段階でこの3つの可能性が指摘されている人間です。
要領が悪く記憶力も乏しく不注意
まるでのび太を体現したかのような子供でした
顔は笑っていても実は不安定で他人に攻撃されても反撃しない、その発想もなく
それどころか攻撃する人間と仲良くしようとする人間でした
そんな人間が大人になってどんなことになるのか
年の近い人間に「自分の子供はお前のようにはなって欲しくないな」と真顔で言われたことがあります
楽しく遊んでいる間柄の人間からその様な事を言われる事は人生で数回ありました
要するに私はそんな出来栄えです
そしてそう言われた事に対して怒りどころかショックを受けた様子すら見せず平然と振る舞い続けてきました
こういう人間がどういう人生を送るか
「かわいそう」なら同情の余地がある状態のことを言うと思うので違うと思います
ただ目も当てられないような「みじめ」な出来事を繰り返し結果として幾つかのトラウマを派手に重ねていきました
周りの人間は常に死ぬほど努力していて私にはそれができていないんだと思いながら
ただ実際には私だけ沼地を歩いているようなもので、舗装された道路を歩いている人間と同じ速度で歩き続けられる訳もなく
世の中にはとてつもなく不幸な目に遭っている人も沢山いる事は知っています
五体満足で命に関わる病気もない事に感謝して生きていかなくては、と
常日頃生死に関わる場面に遭遇する看護師の友人は言います
そういう事実は忘れてはいけないと思います
そう聞くと
やっぱり私がとてつもない怠け者なだけだったのか、こんな事でいじけているのは罰当たりで我がまま過ぎるんじゃないか、と何度も考えます
ただ生まれながら自然に自尊心や幸福感をそれなりに気が付きもせず当たり前のように持ち合わせて生きている人間も世の中には沢山いるのも事実で
平等って何なんでしょう?
どういう状態のことが平等なんでしょう?
「100%」や「0」というのと全く同じで現実には存在し得ないただの概念に過ぎないものなのではと思います。ただの絵空事でしかないんじゃないかと
見た目 財力 環境 巡り合わせ 不慮の事故 そして生まれ持った脳 遺伝子
実際加点式にでもしたら相当の点差があるはずです
それなのに世間の価値観や判断基準またはシステムは平等であることが大前提で進んで行きます
能力のないまたは能力のズレている何割かの人間は必然的に辛酸を舐めることになります
この様な状態の人間は私一人ではないはず
あぶれ出る人間たちは自尊心も幸福感も持てないまま一生を鬱々として終えるしかないのでしょうか?
人並みに堂々と世間に顔向けができる人生を望むのは贅沢ですか?